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2015年5月 1日 (金)

選挙における「◎児の父・母」考

4年に1度の統一地方選挙が終わった。
立候補を決め、準備をし、そして本戦を闘った全ての候補者の人々に「お疲れさま」と言いたい。

被選挙権を行使することは「民主主義の実践」の一つだ。
ただ「誰にでも出来ること」ではない。
よく言われる「地盤・看板・鞄」。
それももちろん大きなハードルであるが、
それよりも突破しなければならない壁は、人から「うさん臭い目で見られるグループ」へ人生を移行しなければならない、ということなのではないかと思っている。

見ず知らずの人からあることないことを言われたり、何をやっても「あ、どうせ票のためでしょ?」という目で見られる。そんな気はさらさらないのに。
当選しようがしまいが、引退しようがしまいが、その状態はずっと続く。
「あの人、選挙出たよね」。
たった1回でも選挙に出ると、もはや「うさん臭いグループ」から抜け出すことは、自分の意志をもっても出来ないのである。
 
面倒くさい。ばからしい。

そう思うのは「普通の感覚」だと思う。
しかし、この「自分の中にある壁」を越えないと被選挙権の行使は出来ないのだ。

そういう意味でも、ワタクシは全立候補者に「お疲れさま」「よくやった!」と声をかけたいのである。

まあ、ホント、この業界、「うさん臭い人」多いので、そうなるんでしょうが(笑)

さて、この度の選挙を並走しながら、思いついた点を数回に渡り書き記して行こうと思う。自分の備忘録として(笑)

気になった一つは「2児の父」「3児の母」等々、「◎児の父・母」というキャッチフレーズを使っている人が多かった、ということだ。

日本で初めて「◎児の父・母」を全面に掲げて選挙を闘ったのは、1989年参議院選挙東京選挙区から立候補し、惜敗した進歩党・美藤智氏だと思う。
この選挙は、自民党の竹下登内閣下でのリクルート問題や消費税、宇野宗佑総理の女性問題などが焦点になった選挙であり、「山が動いた」という土井たか子氏の言葉は流行語にもなった。
そうした政治状況の中で、美藤氏はたまたま撮ったスナップ写真をポスターにこう記した。
「31歳 2児の父」。
当時は父親が子育てを「手伝う」ことはあっても「主体的に取り組む」ことまではなかなか求められていなかった時代だ。
「子育て政策」を訴える、というよりは、澱んだ政治にごくごく一般的な、「31歳 2児の父」が挑戦して行く、というところをアピールしたかったのだと思う。

かく言うワタクシも数回の選挙を「5児の母」をキャッチフレーズに闘った。
なぜ「5児の母」を入れたかと言うと、単純に「知名度アップ」のためだからである。
「まじ?5児?」
驚いて、覚える(笑)
これが「1児の母」だったらこのキャッチは使わなかったと思う。
今でも「5児の母の人ですよね〜」と言われるので、単純に「知名度アップ」と言う点では効果はあったのだろう。

さて、今「2児の母」とか「3児の父」をキャッチフレーズにしている人たちは、それとは違った意図で使っているのだと思う。
つまり、自らの政策アピール。
「子育て政策」が「売りになる時代」になったのである。
その際は子どもの数は関係ない。
いかに「自らもこの問題の当事者としてがんばっているか」、「改善点を知っているか」というところを伝えたい。
そして同世代やその父母たち、つまりは子育てを手伝っている層への浸透も狙っているのだろう。

時代は変わったな、と思うのと同時に、選挙ポスターのキャッチフレーズほど、その時の日本や地域を表すものはない、とも思う。

ちなみに。
2003年、私が初挑戦した兵庫県議会芦屋市選挙区でのキャッチフレーズは「談合政治にNO!」であった。
負けた。
理由は簡単。有権者の多くは「YES」だった、ということである。

当時は「4児の母」だったが、アピールすべきはそっちだったかな(笑)


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