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2015年6月13日 (土)

「記者の劣化」と「リベラル勢力」の深刻

民主・共産・社民の野党3党と無所属の参議院議員が、共同で民法改正案を提出した。
これは基本的には今まで提出して来た案の踏襲だが、この法案の中には完全に女性差別である「再婚禁止100日短縮法案」が含まれている。
(この内容が「女性差別」であることの論拠は、『世界』7月号(岩波書店)に書かせていただいているのでお読みいただきたいが、もし「差別でない」という方がいらしたら、ぜひその理由をお聞かせ願いたい)
これらの法律を巡る背景は2007年以前と以後は全く違う。
まさに「紀元前・紀元後」ぐらい状況が変わっているのだ。
記者もそこを突っ込まずしてどうする?
というか・・わかっていないんだろうな、きっと。勉強不足。
「違憲」がポイントとなっているわけだから、提出された法案が「違憲」にならないのかを検証してほしい。
しかし・・あらゆる差別と闘っているはずの野党が、なぜこうした法案を提出してしまうのだろうか。
また「これは良いけど、ここの部分はおかしい」との声があがらないのであろうか。
リベラル勢力といわれる政党や議員、また市民も、自分が取り組んでいる課題以外についての差別に対して鈍感となっている、もしくは知らず知らずのうちのその差別を容認してしまっている。
つまりは「劣化」しているのだ。
それでは差別をなくすことはできない。
事態は相当に深刻だ。
・・ってとこをつくのが記者の役割じゃね?
以降は、『世界』に寄稿した一部である。(全文はご購読ください)
これがワタクシの闘い続ける理由だ。
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 私は13年間にわたり1000組以上の無戸籍で苦しむ子どもたちとその家族を支援して来た。またLGBT・性的マイノリティをはじめ多様な生き方を選択することを法律により阻まれて来た人々の暮らしを見てきた。 
 その中でつくづく感じるのは、誰もが生まれ育つ家庭環境、多かれ少なかれ、良きにつけ悪しきにつけ親の因果から逃れることはできないということだ。
 それぞれが生まれたときに配られる「カード」には明らかな「違い」がある。負荷を背負わなければならない環境に生まれる場合もある。
  だからこそ。
 人間の叡智の結実であるべき「法律」は、この生まれながらにしての差を補い、埋めるためにこそがあるべきなのだ、と思う。
 逆に、その「法律」があることで、人生の選択肢が狭まったり、ましてや、この「再婚禁止期間」のように、「子どものために」との美名のもとで、起こってもいない将来の「不貞の抑止」や「離婚の懲罰」として使われている、しかも一方の性のみが対象という差別規定は即刻廃止しなければならないのである。


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