« 明治維新を支えた「キラキラネーム」 | トップページ | 無戸籍・無国籍女性の婚姻届受理 »

2015年6月 7日 (日)

『火花』と政治

「申請、出さなかったらしいよ」
6月1日、民主党が次期衆院選の1次公認候補内定者53人を発表した。
あれ?
当然、いるはずの人の名前がない。
政治家としての能力もあり、選挙も弱くない。
「選挙は構図」というここ数回の国政選挙の傾向の中で、残念ながら議席を得ることができなかった人々だ。
彼らのうちの少なからずが政治活動から引退、もしくは一時休止をする決断をしたという。

そんな折、遅ればせながら『火花』(又吉直樹著・文藝春秋)を読んだ。
漫才の世界では一握りだけが生き残り絶対善とされる。
その他は淘汰され、その汗と涙は霧となり、世間からは忘れ曝れれる運命にある。

そんな不条理な世界の中で生きる主人公・徳永と「師匠」・神谷の姿は、政治の世界とほぼ相似形である。
「淘汰される人々」の存在こそが、業界の質の下支えとなっている、ところも含めて。

人気の波は満ちては去るの繰り返しだ。
一時勝っても、次の波に乗り切れぬまま、人生の岐路を迎える場合は多い。
徳永も相方が引退をすることとなり、漫才業界を去る決断をする。
一方で、負け続けても、どうにかこうにか生き延びて行く神谷。

続けられるのは「勝ったことがない」からかもしれない。
しかしそんな中での「延命」は時にある感覚を失わせてしまうことにもなりかねない。

打ち上げられる花火を見ながら、そこにある、あまりに露骨な企業と個人との資金力の差を目の当たりにして、徳永は思わず笑ってしまう。
「馬鹿にした訳ではない。支払った代価に『想い』が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。」
しかし。
次にそこで起こったことは・・・。
「これが、人間やで」
神谷のつぶやきこそが、「淘汰される人々」をも支える「一縷の望み」なのである。

話を政治に戻す。
浪人中の生活は過酷だ。
地方選の場合と違って、地道な努力よりその瞬間の政治情勢がより大きく影響をする国政の場合はさらに事情は複雑となる。
20代、30代だったら、それでも突っ込んだろうな、と思うし、実際そうしてきた。
「政治家になりたい」とそれがある種自己目的化してのなら、今も出来るかもしれない。
しかしやっかいなのは45歳ぐらい前後以降の「やりたいことがある」場合の、自分との折り合いの付け方だったりする。

45歳過ぎぐらいからは誰だって、職業人としてベストパフォーマンスができるであろう残り時間を計算する。
こんなことをしている場合か?生活だって成り立たないぜ!
そんな声が日々内から沸き上がる。

家族がいる場合はもっと切迫する。進学を控えた子どもたちがいたら、尚のこと、そのプレッシャーは増大する。
政治資金パーティをして急場をしのいだりする日々に未来はあるのだろうか。
結局はあれだけ嫌がっていた「選挙ゴロ」に成り下がって行くのではないか、という恐怖に近い焦りが出てくる。

「やりたいこと」がある人にとっては、浪人中の数年間、街頭演説をしているだけではもったいない。後援会を拡げる活動ももちろん大事だが、一方で自らの課題に対して、別のアプローチからでも着手して行かないと、本当に時間がなくなってしまう。

こう思うのは至極真っ当だ。
逆に言えば、だからこそ、他の業界から引く手が現れる。他のアプローチの示唆もある。
こうして、ひとり減り、ふたり減り、業界から去って行く。

なんとも淋しいことだ。その顔ぶれを思う時に、この価値付けされていないものの、非常に大きな人材プールが枯渇して行くことは日本の政治の衰退にも直結するような気がして、今後大丈夫かな、などとも思う。
まあ、確かにこま猫先生曰くの「長期的には、われわれはみんな死んでいる」(byケインズ)で、そんなに心配することではないのかもしれないけど。


« 明治維新を支えた「キラキラネーム」 | トップページ | 無戸籍・無国籍女性の婚姻届受理 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。