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2015年6月29日 (月)

さらりと書かれている「子どもを産ませていた」に感じる違和感

日本に帰国してワタクシがまず買ったのは週刊文春と新潮。林真理子さんのエッセイと佐藤優先生×西原理恵子さんの合作コラム連載を毎回楽しみにしているからだ。
ぶひゃー。
週刊文春にさらりと書かれていた一文に思わず、吹き出した。

「(どこぞの市議が)愛人がいるどころか、その女性に子どもを産ませていたというからすごい」(「夜ふけのなわとび」週刊文春より)
基本的にワタクシは真理子ファンである。熱烈ともいってよい。だからこそ「週刊文春」を律儀に毎週買っているわけだけど。
「子どもを産ませる」(とかよくある「孕ませる」等々)明らかに男女の力関係の上下を固定した表現が、普通にこうして使われているということにあらためて衝撃を受ける。
実際にこの愛人が「子どもを産ませ」られていたのかどうかはわかないが、この件でなくとも愛人のみならず「子どもを産ませ」られている女性というのはどのぐらいいるのであろうか。
どうも、現実はこの表現とは違っているように思えてならないのだが。
なので、ワタクシはこの表現に違和感を持ったのだが、こればすんなり受け入れられているならば、まさに「女性が輝く社会」でないことの証明でもある気がする。


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