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2015年6月13日 (土)

『絶歌』に思う

神戸連続児童殺傷事件加害者の手記『絶歌』(元少年A著 大田出版)が出版され、「読む」「読まない」「(内容が)良かった」「悪かった」と多くの人がSNS等で話題にしている。
専門家も含めて「母子関係が影響している」とのことに対しての、元少年Aからの反論である、と読解する人もいる。
そうなのかもしれない。
ただ、私はこの本を読むつもりはない。
私がこれを読んだとて、今後の犯罪の抑止には繋がらないと思うからである。
また被害者の家族がさらに傷ついていることを思うと、ページは捲れない。
子どもを持つ一人の母親として、この事件を素通りは出来ないし、報道される度に動悸がし、動揺してしまう。
どこかで自分の子育てもこのような事件に繋がってしまうのではないかと言う不安を多くの親同様感じているからこそ、この本を読んでもあまり意味がないのではないかと思う。
事件から時間が経った中で振り絞る元少年Aの言葉は、少なくともその当時のものではない。
また『「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記』 (元少年Aの父母著・文春文庫) が既に出ている。
今回の出版については出版社の「いやらしさ」を感じる。
「売れればいい」
自己正当化できるだけの言い訳を用意しながら、社会との接点やコミュニケーションの経験値を積む機会が少なかったであろう元少年Aを利用していると取られても仕方がないと思う。
そうした批判に対してもとことん鈍感な社会が、この事件ばかりかその後のさまざまな事件を産む背景にあることを改めて認識する。


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