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2015年8月 5日 (水)

政治家と「失言」

 政治家の言動が話題になっている。

 特に若手2人の衆議院議員。
 滋賀4区選出の
武藤貴也衆議院議員は平和安全法制に反対する学生団体SEALDsの国会前抗議について自身のTwitter上で「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と投稿し、炎上。また、上西小百合主議院議員が「本当の自分、そして政治にかける思いを伝えなければ」と考えて出版を決意しました」(NEWSポストセブンより)として出版する フォト自叙伝「小百合」(双葉社)については、それを読めば「政治にかける思いが伝わるのか?」といった批判も相次いでいる。

 どちらの言動も政治家としてはマイナスのように思うが、「悪名は無名に勝る」(by竹下登元首相)という政治セオリーからすると、彼らは王道を行っているとも言えるのかもしれない。

 

 政治家の「失言」は今に始まったことではない。

 先日も書いたが、今「1960年」を扱った沢木耕太郎氏の『危機の宰相』を読み直している。

 60年安保の混乱の責任を取り辞職した岸信介の後を受けて総理になった池田隼人元総理の「所得倍増」を掲げて闘った人々の物語だ。
 池田勇人と言えば、「貧乏人は麦を食え」と揶揄された演説や「五人や十人の業者が倒産し、自殺しても、それはやむをえぬでしょう」という記者会見の発言が大々的に報道され、不信任案を上程されるまでの問題ともなるなど、失言が多かった政治家だとして認識されている。
 『危機の宰相』は1977年に書かれた内容を決定版として書籍化されるまで27年がかかっているのだが、私が最初に読んだのは2006年の4月だ。

 県会議員にはなっていたが、衆議院議員にはまだなっていない。国会で活動した経験をもとに、読み返すと、いろんな意味で圧倒される。

設立当時は池田の池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成された池田の後援会のようなものだった「宏池会」は会報を出し、驚くことに各地で行った演説や、パーティでの挨拶まで速記録をとっており、今なおそれを保存している事実だ。

 TwitterFacebook、ブログと言う手段がなかった時代でも、政治家がいかに「言葉」を大切にしていたのかを表していると思う。

 誰もがスマホで画像を撮れる時代となった今でも、たとえば民主党の「グループ」でそこまでやっているところなどはないだろう。
 日々の政治活動の「記録」が歴史そのものになっていくという認識と気概が、当時の「宏池会」にはあったのだろう。


 そうした中で意図的であるか否かにかかわらず舌禍を起こし、政治生命にもかかわる事態にもかかわらず池田勇人が総理にまで上り詰めたことについて沢木耕太郎はこう書く。

 「池田がその致命的とも思える放言癖にもかかわらずなぜ許されて来たのか、また、一癖も二癖もありそうな人材がどうして周囲に多く集まって離れなかったのか理由の一端がわかる。いやそれ以上に、細切れのエピソードからはうかがうことのできない、池田勇人という人物の全体像がくっきりと浮かび上がってくる」(P79

 そしてこの項をこう結んでいる。

「おそらく、将たる者は人に好かれているだけでは足りない。人を好きになる能力が必要なのだ。この挨拶の中には、池田の人を好きになる能力といったものがはっきりと映し出されている」(P87

 

 池田や、この項に出てくる前尾繁三郎も病を越えて政治家になった。池田は新妻の死も含めて、ある意味地獄を這う。

 しかし、病気で多くのものを失ったが、逆に得たものがある。 「正直」である。
 宮澤喜一が「どうもあなたの正直は、ただの正直とは思えない。札所を廻ったとき、もし直ったら一生自分は嘘をつかないという願をかけたんじゃないですか?」と訊ねると、池田は「その通りだ」と言ったそうだ。

 「正直」とはl国民に対しての「誠実」とも言い換えられるのだと思う。

 比べるのには無理がありすぎるだろう。

 ただ、今、取り上げられている彼らには「正直」が感じられるだろうか。

 「悪名は悪名」なのである。


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