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2015年9月19日 (土)

安保法制可決とそのプロセスを見て

2012年、そして2014年と選挙に負けて、
「民主党」はその存在も希薄になり、内部からすら「解党」「出直し」を求める声があがった。
今回の安保法制を巡る一連の動きも「そもそもシナリオのあるプロレスだ」と揶揄する人も「個人の選挙向けパフォーマンスだ」と鼻で笑う人もいた。
しかし、どの分野であろうが、体力と知力の限界まで闘った人たちはわかるはずだ。
彼らが本会議場で声を限りに振り絞り出した言葉は、昨日今日の付け焼き刃で発することはできない。
幾度も幾度も、繰り返し思って来たこと、言葉に出してきたことは、彼らの「誠」であることを。

もし、福山さんが、蓮舫さんが、大塚さんが、枝野さん…がいなかったら、この国会はどんなふうになっていたであろうか。
「政権」を経験した、というのは、こういうことなのである。

国会前に集う人々がいて、議員も奮起をする。その姿とまったく危機感のない与党議員との対比を見て、家庭や職場や学校…それぞれの持ち場持ち場ででき得ること=声をあげるという「具体的行動」をし始めた。確実に政治は変わっているのである。

私は演説する彼らの姿を見て、民主党員で本当に良かったと思った。久しぶりにだけど(笑)
それは国民も同じだったのではないだろうか。
また、彼らの姿を見たい。演説を聴きたい。
政治家は国民にそう思われなければならない。

勝負は次の選挙だ。
「安倍政権を許さない」思いを一にした野党の候補予定者は全員そういう存在にならねばならない。

スピーカーズコーナーではないが、民主主義の原点は路上にある。そしてイギリスのコーヒーショップも、もともとは誰でも参加できる政治論争の場であったことを考えると(ウヨクとサヨクは最初は一緒にやっていたが、途中でウヨクは負けて陣地を取られて行く…のだが、一方だけの議論になると、結局は勝った方も廃れて行ってしまうのだった)今までとは違った政治的うねりがこの国で芽生え始めていることを実感する。

安保法制がこのような形で可決させた安倍総理の歴史的役割は、法案そのものよりも、自覚する機会もなかった「国民ひとり一人が考え、行動する真の民主主義」が根付いていたことを70年の時を経て確認させたということなのかもしれない。


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